「新しい現実 The New Realities - Rebirth」へようこそ
ここにある記録が何らかのお役にたてれば幸甚でございます。
私は数学が苦手です。おそらくその原因は中学の数学の授業。そのときの内容はさだかではありませんが、それまで特に苦もなく解いていた問題にふと疑問を抱いたのでした。
「はたして、この問題は実生活でなんの役にたつのだろうか」

数学以外のほかの教科は社会生活との結びつきが想像しえました。国語は新聞、雑誌、テレビ、漫画での情報を正しく得ること、自分の意見を表現すること。社会科は自分たちを取り巻く環境、歴史を理解すること。理科はやや実社会から離れつつありましたが、まだ身近な事象のしくみについて知ることなどと。
ところが数学のなんとか方程式などというものがいったい自分になんの意味があるのかが、わからなかったのです。そこで、思い切ってセンセイに聞いてみました。
「その問題はなんのために解くのでしょうか」
「そんなバカなことは考えずに解けばいいんだよ」
結局、私の漠とした疑念は解消することがなく、それからというもの、単純に機械的に解くという数学に興味がなくなってしまったようです。今から思えば意味などを考えることなく、とりあえずやらねばならぬこととおとなしく「詰め込み教育」にしたがっていればよかったのかもしれません。若いときには生意気に疑問を呈さず、とにかく知識量を増やすべきです。ああ、あのときあんなことで数学嫌いになっていなければ、いまごろはポアンカレ予想を証明してフィールズ賞をとっていたかもしれない・・・(笑)。
そんな悔恨の念からか、タイトルだけで非常に気になっていた本「博士の愛した数式」。ようやく遅ればせながら読みました。未婚の母で家政婦の「私」と、80分しか記憶のもたない初老の数論専門の元大学教師の「博士」、そして「私」の10歳の息子。この3人を中心としたほんのりと切なく、あたたかいお話です。
数学はテーマの根底に流れていますので、素数、約数、自然数、平方根、階乗などという過去に耳にした懐かしい単語がでてきます。また、完全数、友愛数、双子素数など知らない用語も出てきますが、知らずとも十分に理解ができるようになっています。なににつけても著者の小川洋子さんの繊細な洞察力と表現力がすばらしいです。
数学と文学が融合し、美しい形をつくっている作品だと私には感じられました。博士のセリフにあるように数学は美しいものらしいのです。この作品の参考文献の著者であるとともに作品の解説を書かれている数学者の藤原正彦氏もご自身の作品「国家の品格」のなかで類したことを書かれています。天才を生む土壌には三つの共通点があり、特に数学の天才は美の存在しない土地には生まれないと述べています。
美しい自然とそれに対する情緒や感受性が数学者には必要なのでしょう。
先日フィールズ賞受賞を辞退したグレゴリー・ペレルマンが有力な解決の道筋を発見したといわれるポアンカレ予想。そのポアンカレの著書「科学と方法」のなかにも確か美に関する似たような記述があったような・・・。そう思って本をひっくり返してみると、はたしてありました。
なにごとも極めれば、自然と調和した美しさに収斂していくということなのでしょう。さて、私の仕事は美しさからはほど遠いですが、いつか真の審美的感情を得られるようにすこしずつ歩んでいきましょうか。
「はたして、この問題は実生活でなんの役にたつのだろうか」

数学以外のほかの教科は社会生活との結びつきが想像しえました。国語は新聞、雑誌、テレビ、漫画での情報を正しく得ること、自分の意見を表現すること。社会科は自分たちを取り巻く環境、歴史を理解すること。理科はやや実社会から離れつつありましたが、まだ身近な事象のしくみについて知ることなどと。
ところが数学のなんとか方程式などというものがいったい自分になんの意味があるのかが、わからなかったのです。そこで、思い切ってセンセイに聞いてみました。
「その問題はなんのために解くのでしょうか」
「そんなバカなことは考えずに解けばいいんだよ」
結局、私の漠とした疑念は解消することがなく、それからというもの、単純に機械的に解くという数学に興味がなくなってしまったようです。今から思えば意味などを考えることなく、とりあえずやらねばならぬこととおとなしく「詰め込み教育」にしたがっていればよかったのかもしれません。若いときには生意気に疑問を呈さず、とにかく知識量を増やすべきです。ああ、あのときあんなことで数学嫌いになっていなければ、いまごろはポアンカレ予想を証明してフィールズ賞をとっていたかもしれない・・・(笑)。
そんな悔恨の念からか、タイトルだけで非常に気になっていた本「博士の愛した数式」。ようやく遅ればせながら読みました。未婚の母で家政婦の「私」と、80分しか記憶のもたない初老の数論専門の元大学教師の「博士」、そして「私」の10歳の息子。この3人を中心としたほんのりと切なく、あたたかいお話です。数学はテーマの根底に流れていますので、素数、約数、自然数、平方根、階乗などという過去に耳にした懐かしい単語がでてきます。また、完全数、友愛数、双子素数など知らない用語も出てきますが、知らずとも十分に理解ができるようになっています。なににつけても著者の小川洋子さんの繊細な洞察力と表現力がすばらしいです。
「しかし0が驚異的なのは、記号や基準だけでなく、正真正銘の数であるという点なのだ。最小の自然数1より、1だけ小さい数、それが0だ。0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。さあ、思い浮かべてごらん。梢に小鳥が一羽とまっている。澄んだ声でさえずる鳥だ。くちばしは愛らしく、羽根にはきれいな模様がある。思わず見惚れて、ふっと息をした瞬間、小鳥は飛び去る。もはや梢には影さえ残っていない。ただ枯葉が揺れているだけだ」
本当にたった今、小鳥が飛び去っていったかのように、博士は中庭の暗がりを指差した。雨に濡れ、闇は一層濃くなっていた。
「1−1=0
美しいと思わないかい?」
「博士の愛した数式」 小川洋子
数学と文学が融合し、美しい形をつくっている作品だと私には感じられました。博士のセリフにあるように数学は美しいものらしいのです。この作品の参考文献の著者であるとともに作品の解説を書かれている数学者の藤原正彦氏もご自身の作品「国家の品格」のなかで類したことを書かれています。天才を生む土壌には三つの共通点があり、特に数学の天才は美の存在しない土地には生まれないと述べています。美しい自然とそれに対する情緒や感受性が数学者には必要なのでしょう。
先日フィールズ賞受賞を辞退したグレゴリー・ペレルマンが有力な解決の道筋を発見したといわれるポアンカレ予想。そのポアンカレの著書「科学と方法」のなかにも確か美に関する似たような記述があったような・・・。そう思って本をひっくり返してみると、はたしてありました。
一見数学の証明は知性以外には関係がないように思われるのに、これについて感受性を引合いに出しては、人は或いはおどろくかも知れない。しかし、これにおどろくことは数学的優美の感、数と形式との調和の感、幾何学的典雅の感を忘れることであろう。これは、すべての真の数学者が知るところの真の審美的感情であって、実に感受性に属するものなのである。
※原文は旧仮名遣い
「科学と方法」 ポアンカレ 吉田洋一訳
なにごとも極めれば、自然と調和した美しさに収斂していくということなのでしょう。さて、私の仕事は美しさからはほど遠いですが、いつか真の審美的感情を得られるようにすこしずつ歩んでいきましょうか。
この記事へのコメント
はじめまして。
「博士の愛した数式」 の記事を
トラックバックさせていただきました。
こちらの記事を読んで、
もう一度、この本を読み返してみようかな、という気になりました。
「博士の愛した数式」 の記事を
トラックバックさせていただきました。
こちらの記事を読んで、
もう一度、この本を読み返してみようかな、という気になりました。
こんにちは。
この記事で本を読み直したなんて、よろこばしいかぎりでございます。
今後ともよしなに。
この記事で本を読み直したなんて、よろこばしいかぎりでございます。
今後ともよしなに。
こんばんは。
「博士の愛した数式」
読みました。
学生の頃に読んでいたらもう少し数学が好きになったかもしれない。
映画は観ていないのですが、どうなのでしょうか。
個人的にはフェルマーの最終定理が異常に気になってしまいました。
「博士の愛した数式」
読みました。
学生の頃に読んでいたらもう少し数学が好きになったかもしれない。
映画は観ていないのですが、どうなのでしょうか。
個人的にはフェルマーの最終定理が異常に気になってしまいました。
コメントありがとうございます。
映画はさておき、「フェルマーの最終定理」はたしかに私も気になっていて、同名の新潮文庫は読まねばならないと思っているところです。
まあ、関連する本は読んでも、そんなに簡単には私の数学に対する苦手意識は消えないでしょうけど。
映画はさておき、「フェルマーの最終定理」はたしかに私も気になっていて、同名の新潮文庫は読まねばならないと思っているところです。
まあ、関連する本は読んでも、そんなに簡単には私の数学に対する苦手意識は消えないでしょうけど。
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
自分が愛読していた、ちょっとマイナーな作家が突然メジャーになってしまったとき、みなさんはどんな気持ちになりますか。本を読まない方は、たとえば芸能人とか、スポーツ選手とかにたとえて考えて見て下さい。「メジャーになってうれしい」という気持ちがある反面、「なん
2006/09/07(木) 01:47:14 | 島ぐらし雑記帖
なんという静謐(せいひつ)な世界だろうか。すべてが美しい。この小説に登場する人々すべてが優しい。こんなに美しくて優しくて、いいのだろうか? 現実感ってものが乏しくないか?しかし読み進むうちに考え直した
2006/09/21(木) 13:06:03 | ぱんどら日記
| ホーム |
Why not find your new realities?
食とは、味はもちろんのこと、サービス、価格、雰囲気、タイミングなどの複雑な要素の織りなす重要な活動です。それは一般的な消費者たる私たちにとっても単なる消費行為ではなく、そこから受けるおいしさや楽しさにより生産的行為となっているはずです。
そこには新しい発想、新しい知覚、新しいコミュニケーションが存在するのです。それらは、すぐそこにあります。その新しい現実をご一緒に発見し、確認していきましょう。
とはいえ、この活動は「内食」すなわち家庭の食事をないがしろにするものではありません。さりとて、単身赴任、孤食、常態的残業、夜間の塾通いなど、旧来の「暖かい食卓」を求めるには難しい世情となっているのが現状です。そういった現実とのバランスをとりながら、新しい現実を探求する必要があるのでしょう。
