「新しい現実 The New Realities - Rebirth」へようこそ
ここにある記録が何らかのお役にたてれば幸甚でございます。

渋谷下車とくれば久々に背脂醤油のあさんにまいりましょう。「ラーメン」(\600)。相変わらずのスゲー肉魁と脂です。お口直しのキムチがなかったのはちょっと辛かった・・。私もそろそろ脂がキツイ年頃かしら(笑)。

木曜日。それは新橋、野焼さんのモツ入荷日。8時半、赤坂で業務終了・・・。とくれば、単身・カウンター・七輪・30分勝負だ!「塩ホルモン」(\500)いつもながらにうまいです。「ホイス」とじつに合います。至福也。

「揚げ玉うどん」(\650)。あっさりとした上品なおだしの稲庭うどんは、昨夜の呑みで疲れた胃腸にやさしいです。揚げ玉には桜エビが入り香ばしく、柚子の香りがアクセントとなっています。ごちそうさまでした。

「塩らーめん」(\600)。赤坂で安心して食べられるラーメン屋さんです。でも今日感じたのは、たまプラーザ店の塩のほうがおいしいかな。
とはいえごちそうさまです。

「らーめん」(\680)。箸あしらいよろしくなく、もっさりとした麺。化調の香り高いねっとりとしたスープ。いつもと変わらぬお味です。何事も継続していくことはスバラシイことです。小池栄子嬢前にて・・・(笑)。(壁に貼ってあるサイン色紙のことです。)
■Related Link
・赤坂ラーメンHP
赤坂本店の位置が昔のままです・・・。

妻が先日、IKEA港北でちいさい木のテーブルを買ってきました。組み立て式なので、天板の裏のプラスの木ネジをまわしこもうとして気が付きました。
「こいつは、フィリップスじゃない・・・。ポジドライブだ・・・。」
よーく写真をみると普通のプラスネジとはちょっと違うことがわかります。プラスの部分がややまるみを帯びているように見えることと、プラスの溝の45度の角度に細い線が入っています。このネジは通常日本で使われている、いわゆる「プラスネジ」ではなく、「ポジドライブ」(Pozidrive)なのです。

現在、一般的に使用されている「プラスネジ」は「フィリップス」(Phillips)とよばれる米国規格のもの。対してポジドライブはその改良版のヨーロッパ規格のものなのです。フィリップスよりもスクリューとドライバーの噛みあわせが良く、力をかけ易く、なめにくいのです。ちなみに「マイナスネジ」は"Slotted"です。
(図は"Encyclopedia of Bosch Power Tools"から)
以前、MINI(ROVER)に乗っていたわが家はたまたまポジドライブを持っていたのでした。フィリップスでも慎重に扱えばまわすことはできます。でも注意しないとねじ山をなめてしまいます。スウェーデンだから他の家具類もそうなのでしょうか。とすれば、IKEAさんは「ポジドライブ推奨」などと注意書きをいれておいたほうがよいかもしれませんね。
ところで、ネジ廻しでテーブルを組み立てた日から、なぜか左手がしびれるようになってしまいました。病院へ行くと原因不明の「手根管症候群」とのこと。ああ、これではまるで『ねじ式』じゃないですか・・・。
そういうわけでこのねじを締めると
ぼくの左腕はしびれるようになったのです
Update 2006.09.30
こんな模型があるなんて・・・
「手根管症候群 説明用模型」
桜井が薦めるたいていのものを、僕はカッコいいと思った。マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソン、セシル・テイラー、デクスター・ゴードン、ミルト・ジャクソン、エラ・フィッツジェラルド、モーツァルト、リヒャルト・ストラウス、ドビュッシー・・・。でも、ジョン・コルトレーンだけは僕の趣味に合わなかった。理由を訊かれた。
「暗すぎる」
9月23日はテナー・サックス奏者ジョン・コルトレーンの生誕記念日です。もう80周年にもなるというのに古臭さを感じさせませんねえ。さて冒頭の引用にもあるように、トレーンにはたしかになにか重いものを背負わされ、暗澹とした気持ちにさせる曲は多いような気がします。特に『A Love Supreme(至上の愛)』なんて、私には重過ぎます。コルトレーン・ミュージックの頂点などと言われるようですがわたしには理解不能です。にわかJazzフリークにはまだまだむりなんでしょう。
一番好きなアルバムは『GIANT STEPS』でしょうか。マイルス・デイヴィスのマイルス・コンボを退団してのまさに第一作目のでかい一歩です。トレーン退団直前のマイルスの名アルバム『KIND OF BLUE』での演奏もいいですが『GIANT STEPS』ではハジケタ感じがとても小気味よいのです。
あえて好きな曲をひとつだけ選ぶとすれば『SELFLESSNESS』に収められている「MY FAVORITE THINGS」。美しくもそこはかともの哀しい曲です。でもその音には叫びに近いような力強さがあり、ホント震えます。ああ、ライブで聴いてみたかった・・・。
この週末はトレーンをじっくり聴いてみましょう。ひょっとしたら「至上の愛」に目覚めるかも・・・。
■参考文献− 『至上の愛』などという作品があって、いかにも麗しそうなメロディーが出てきそうでしょう。とんでもない。わけのわからない旋律の連続です。
− コルトレーンのストイシズムが、音楽的可能性の極限をめざし、しかもそれが音楽のことばとしてギリギリのところで成立しているという意味で、『ジャイアント・ステップス』はやはり凄い作品だ。
− 『至上の愛』はその頂点をなす、まさに至上の一作である。彼の最高傑作というと、数多ある秀作の中でこの一作に止めを刺す例が多いのも、一つにはこれが余りにも象徴的な作品であるからに他ならない。

「塩ラーメン」(\650)をいただきました。旭王、青葉の流れをくむ旭川系のスープは独特の香りがありおいしいです。でもやはり麺は以前の青葉さんまでの加水率低めの縮れ麺のほうがよかったかな。ごちそうさまでした。

「らーめん(並)」(\600)を固めで。荒ぶる漢(おとこ)の家系(いえけい)です。まあ食べてるお客さんのほとんどは、脂ぎるオヤジ系ですが・・・私も含めて(笑)。冷凍の小松菜は噛み応えがあり

ノーマルの「じゃんがら」(\570)を固めでいただきます。久しぶりでしたが、おいしゅうございます。気をよくしてつい「替玉」(\150)をいただいちゃいました。ただ、替玉先払いはやや興醒めと思うのはアタシだけ?(笑)

はじめて横浜家系ラーメンを食したのはまだ新横浜ラーメン博物館が華やかりし頃にラー博に出店していた六角家(ろっかくや)さんでした。そのときは、獣系濁り汁、短い太麺、たっぷり載った脂に正直辟易しました。
でも、そんな若さゆえの浅薄な味覚はその後急速に変化を遂げ、いまではすっかり家系の味に親しむようになってしまいました。

そんな家系の味が袋めんででていました。家でつくってみるとこれがなかなか秀逸なものです。5分も茹でる麺は酒精の香りが残るのは否めずとも、香りもよくしっかりとした太麺に仕上がります。液状濃縮スープを溶いたスープは思いのほか本物の家系スープに近いです。麺とのからみもよく、おいしゅうございます。
また今度お店でみつけたら買いだめしておきましょう。

9/15「醤油らーめん」(\441)。今月3度目の栃木訪問ですが、いまだ栃木ならではのラーメンを食べていません。でも小山あたりにはめぼしいお店がないようです。結局、新宿の味を味わうことになることに...orz(笑)
■Related Link
・株式会社デリシャスリンクのHP
「らーめん亭」を一業態に持つJR東日本系列の
外食企業

先日の某博多ラーメン店の帰り道、幾ばくかの寂寥を胸にしまいこみつつ赤坂の路地裏を歩いていると、新しくコギレイな飲み屋さんがランチをやっていることを発見しました。ちょっと通りから奥まったところにある「赤坂あおば」さん。赤坂のランチなれど、なんと600円というリーズナブルプライス、サプライズ、ライス大盛無料!しかもスタンプカードで10食分ためると、ランチ1食分無料サービスという大判振る舞い。すばらしいです。

ランチは肉・魚・丼の3種類から選びます。「塩マーボー丼」をいただきました。お味噌汁とお菜葉、お漬物、小さいコーヒーゼリーが付いています。おいしくいただきました。しかも、お店のお姉さま方の接客がステキです。このプライスにこの内容、しかもこのホスピタリティでしたら、スタンプを集めてみようかという気にもなっちゃいます。
またお邪魔します。ごちそうさまでした。

9/13「ラーメン」(\700)。久々にうかがいました。アブラも多くかなりどろっとした博多ラーメンです。でも、さほど深みがなくあっさりしていますね(笑)。個人的には博多天神、九州じゃんがらのほうが好み。そんなアタシって邪道?

9/12「塩らーめん」(\680)。つけ麺のお店なのですが、こちらのつけ汁は私の口にはあわないのでラーメンをいただきます(笑)。大盛りでも料金がかわらないのが人気の理由なのでしょう。ごちそうさまでした。

9/11「塩ラーメン」(\650)。やすべえさんが並んでいたので、近くのかおたんさんへ。昨日、トリスを呑み過ぎた胃腸には、さっぱりとして、よろしゅうございます。揚げネギがいいアクセントです。ごちそうさまです。
こいつは相当旨いぜ。
らーめんの鬼 佐野 実
近所のスーパーで絡みつくようないやな視線を背中に感じて振り向いたらありました。「チャルメラ 秋麺 佐野実 限定しょうゆ」です。

これは今年の1月にでていた佐野実限定しょうゆシリーズ第2弾ですな。前回同様「佐野実スペシャルスパイス」が付いただけの普通のチャルメラです(笑)。「秋麺」というので今回は麺にも細工しているのかと少し期待していたのに残念です。
さて、スパイスは前回のと似ていますが、今回は柚子こしょうの風味と秋刀魚節の味わいとなっています。秋を意識した取り合わせなのでしょうが、前回1月の限定しょうゆほどインパクトはありませんでした。
とはいえ、次回も期待していますよ。佐野さん、明星さん。
■Related Links
・「チャルメラ限定しょうゆ」 明星食品HP
・前回の「限定しょうゆ」の記事
先日にもさんまの記事を書きましたが、そろそろ本格的なさんまの季節です。季節感にちなんだ映画を見てみましょうと、「秋刀魚の味」をレンタルしてみました。
※←作品の中では岩下さんが飲み屋にいるシーンはありませんぞ・・・(笑)
「秋刀魚の味」は小津安二郎監督の遺作。OZUの魔法使いはこの作品でもステキな味わいをカモシだしています。母親を亡くし家事の面倒をみる長女はそろそろ結婚適齢期、そんな娘をもつ父親は、一見朴訥としながらも内に一抹の寂寥感を抱え、亡くした妻にそことなく似ているマダムのいるTORIS BARへ行くのです。
マダム役の岸田今日子さんは若くも淡い妖艶さを匂わし始めている時期なのでしょう、なかなかステキです。娘役の初々しい岩下志麻さんよりも個人的には興味があります(笑)。
ところで、タイトルにある「秋刀魚」がこの作品のなかにはなぜか出てきません。会話の中にさえ出てこないのです。ではなぜ、「秋刀魚の味」というタイトルなのでしょうか。
そこで、手前勝手に少々かんがえてみました。人生を季節にあてはめると、未熟で自己中心的に成長していく春の時期、伴侶ができ家庭ができ、家族が生活の中心となる夏の時期、そして、子供が巣立ち自分自身を見つめなおす秋、最後はフェードアウトをにらみつつ他者や社会への貢献をつくす冬といったことになるのではないでしょうか。
そして、秋といえば秋刀魚。おいしいですが焼けば皮は焦げるし煙も出るしワタも苦い。
そのようなことから、この「秋刀魚の味」とは人生の秋でのおいしくも苦い出来事をあらわしているのではないかというのが私の浅薄な推論です。いかがでしょうか。
テーマはさておき、岸田嬢のトリス・バーでは笠さんがトリス・ウヰスキーを旨そうに呑んでいます。
ああ、こんな旨そうに呑まれると、自分が呑んでいないのがアホらしくかんじられます(笑)。たまらず、近くのスーパーでトリス・ウイスキーを買ってきてしまいました・・・・。

うーん、おいしいです。私も娘が結婚したらトリスのストレートを呑むことにしましょう。そんな人生の秋をむかえるまでには、ひとりで寂しく行っても呑ませてくれるステキなマダムのいるトリス・バーを見つけておかなければなりません。
※←作品の中では岩下さんが飲み屋にいるシーンはありませんぞ・・・(笑)「秋刀魚の味」は小津安二郎監督の遺作。OZUの魔法使いはこの作品でもステキな味わいをカモシだしています。母親を亡くし家事の面倒をみる長女はそろそろ結婚適齢期、そんな娘をもつ父親は、一見朴訥としながらも内に一抹の寂寥感を抱え、亡くした妻にそことなく似ているマダムのいるTORIS BARへ行くのです。
岸田今日子 「今日はどちらからのお帰り?
―――お葬式ですか」
笠智衆 「ウーン ま そんなとこだよ」
マダム役の岸田今日子さんは若くも淡い妖艶さを匂わし始めている時期なのでしょう、なかなかステキです。娘役の初々しい岩下志麻さんよりも個人的には興味があります(笑)。
ところで、タイトルにある「秋刀魚」がこの作品のなかにはなぜか出てきません。会話の中にさえ出てこないのです。ではなぜ、「秋刀魚の味」というタイトルなのでしょうか。
そこで、手前勝手に少々かんがえてみました。人生を季節にあてはめると、未熟で自己中心的に成長していく春の時期、伴侶ができ家庭ができ、家族が生活の中心となる夏の時期、そして、子供が巣立ち自分自身を見つめなおす秋、最後はフェードアウトをにらみつつ他者や社会への貢献をつくす冬といったことになるのではないでしょうか。
そして、秋といえば秋刀魚。おいしいですが焼けば皮は焦げるし煙も出るしワタも苦い。
そのようなことから、この「秋刀魚の味」とは人生の秋でのおいしくも苦い出来事をあらわしているのではないかというのが私の浅薄な推論です。いかがでしょうか。
テーマはさておき、岸田嬢のトリス・バーでは笠さんがトリス・ウヰスキーを旨そうに呑んでいます。
岸田今日子 「お水で割ります?」
笠智衆 「いやぁ、そのままでいい」
ああ、こんな旨そうに呑まれると、自分が呑んでいないのがアホらしくかんじられます(笑)。たまらず、近くのスーパーでトリス・ウイスキーを買ってきてしまいました・・・・。

うーん、おいしいです。私も娘が結婚したらトリスのストレートを呑むことにしましょう。そんな人生の秋をむかえるまでには、ひとりで寂しく行っても呑ませてくれるステキなマダムのいるトリス・バーを見つけておかなければなりません。
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・サントリーのトリスのページ
私は数学が苦手です。おそらくその原因は中学の数学の授業。そのときの内容はさだかではありませんが、それまで特に苦もなく解いていた問題にふと疑問を抱いたのでした。
「はたして、この問題は実生活でなんの役にたつのだろうか」

数学以外のほかの教科は社会生活との結びつきが想像しえました。国語は新聞、雑誌、テレビ、漫画での情報を正しく得ること、自分の意見を表現すること。社会科は自分たちを取り巻く環境、歴史を理解すること。理科はやや実社会から離れつつありましたが、まだ身近な事象のしくみについて知ることなどと。
ところが数学のなんとか方程式などというものがいったい自分になんの意味があるのかが、わからなかったのです。そこで、思い切ってセンセイに聞いてみました。
「その問題はなんのために解くのでしょうか」
「そんなバカなことは考えずに解けばいいんだよ」
結局、私の漠とした疑念は解消することがなく、それからというもの、単純に機械的に解くという数学に興味がなくなってしまったようです。今から思えば意味などを考えることなく、とりあえずやらねばならぬこととおとなしく「詰め込み教育」にしたがっていればよかったのかもしれません。若いときには生意気に疑問を呈さず、とにかく知識量を増やすべきです。ああ、あのときあんなことで数学嫌いになっていなければ、いまごろはポアンカレ予想を証明してフィールズ賞をとっていたかもしれない・・・(笑)。
そんな悔恨の念からか、タイトルだけで非常に気になっていた本「博士の愛した数式」。ようやく遅ればせながら読みました。未婚の母で家政婦の「私」と、80分しか記憶のもたない初老の数論専門の元大学教師の「博士」、そして「私」の10歳の息子。この3人を中心としたほんのりと切なく、あたたかいお話です。
数学はテーマの根底に流れていますので、素数、約数、自然数、平方根、階乗などという過去に耳にした懐かしい単語がでてきます。また、完全数、友愛数、双子素数など知らない用語も出てきますが、知らずとも十分に理解ができるようになっています。なににつけても著者の小川洋子さんの繊細な洞察力と表現力がすばらしいです。
数学と文学が融合し、美しい形をつくっている作品だと私には感じられました。博士のセリフにあるように数学は美しいものらしいのです。この作品の参考文献の著者であるとともに作品の解説を書かれている数学者の藤原正彦氏もご自身の作品「国家の品格」のなかで類したことを書かれています。天才を生む土壌には三つの共通点があり、特に数学の天才は美の存在しない土地には生まれないと述べています。
美しい自然とそれに対する情緒や感受性が数学者には必要なのでしょう。
先日フィールズ賞受賞を辞退したグレゴリー・ペレルマンが有力な解決の道筋を発見したといわれるポアンカレ予想。そのポアンカレの著書「科学と方法」のなかにも確か美に関する似たような記述があったような・・・。そう思って本をひっくり返してみると、はたしてありました。
なにごとも極めれば、自然と調和した美しさに収斂していくということなのでしょう。さて、私の仕事は美しさからはほど遠いですが、いつか真の審美的感情を得られるようにすこしずつ歩んでいきましょうか。
「はたして、この問題は実生活でなんの役にたつのだろうか」

数学以外のほかの教科は社会生活との結びつきが想像しえました。国語は新聞、雑誌、テレビ、漫画での情報を正しく得ること、自分の意見を表現すること。社会科は自分たちを取り巻く環境、歴史を理解すること。理科はやや実社会から離れつつありましたが、まだ身近な事象のしくみについて知ることなどと。
ところが数学のなんとか方程式などというものがいったい自分になんの意味があるのかが、わからなかったのです。そこで、思い切ってセンセイに聞いてみました。
「その問題はなんのために解くのでしょうか」
「そんなバカなことは考えずに解けばいいんだよ」
結局、私の漠とした疑念は解消することがなく、それからというもの、単純に機械的に解くという数学に興味がなくなってしまったようです。今から思えば意味などを考えることなく、とりあえずやらねばならぬこととおとなしく「詰め込み教育」にしたがっていればよかったのかもしれません。若いときには生意気に疑問を呈さず、とにかく知識量を増やすべきです。ああ、あのときあんなことで数学嫌いになっていなければ、いまごろはポアンカレ予想を証明してフィールズ賞をとっていたかもしれない・・・(笑)。
そんな悔恨の念からか、タイトルだけで非常に気になっていた本「博士の愛した数式」。ようやく遅ればせながら読みました。未婚の母で家政婦の「私」と、80分しか記憶のもたない初老の数論専門の元大学教師の「博士」、そして「私」の10歳の息子。この3人を中心としたほんのりと切なく、あたたかいお話です。数学はテーマの根底に流れていますので、素数、約数、自然数、平方根、階乗などという過去に耳にした懐かしい単語がでてきます。また、完全数、友愛数、双子素数など知らない用語も出てきますが、知らずとも十分に理解ができるようになっています。なににつけても著者の小川洋子さんの繊細な洞察力と表現力がすばらしいです。
「しかし0が驚異的なのは、記号や基準だけでなく、正真正銘の数であるという点なのだ。最小の自然数1より、1だけ小さい数、それが0だ。0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。さあ、思い浮かべてごらん。梢に小鳥が一羽とまっている。澄んだ声でさえずる鳥だ。くちばしは愛らしく、羽根にはきれいな模様がある。思わず見惚れて、ふっと息をした瞬間、小鳥は飛び去る。もはや梢には影さえ残っていない。ただ枯葉が揺れているだけだ」
本当にたった今、小鳥が飛び去っていったかのように、博士は中庭の暗がりを指差した。雨に濡れ、闇は一層濃くなっていた。
「1−1=0
美しいと思わないかい?」
「博士の愛した数式」 小川洋子
数学と文学が融合し、美しい形をつくっている作品だと私には感じられました。博士のセリフにあるように数学は美しいものらしいのです。この作品の参考文献の著者であるとともに作品の解説を書かれている数学者の藤原正彦氏もご自身の作品「国家の品格」のなかで類したことを書かれています。天才を生む土壌には三つの共通点があり、特に数学の天才は美の存在しない土地には生まれないと述べています。美しい自然とそれに対する情緒や感受性が数学者には必要なのでしょう。
先日フィールズ賞受賞を辞退したグレゴリー・ペレルマンが有力な解決の道筋を発見したといわれるポアンカレ予想。そのポアンカレの著書「科学と方法」のなかにも確か美に関する似たような記述があったような・・・。そう思って本をひっくり返してみると、はたしてありました。
一見数学の証明は知性以外には関係がないように思われるのに、これについて感受性を引合いに出しては、人は或いはおどろくかも知れない。しかし、これにおどろくことは数学的優美の感、数と形式との調和の感、幾何学的典雅の感を忘れることであろう。これは、すべての真の数学者が知るところの真の審美的感情であって、実に感受性に属するものなのである。
※原文は旧仮名遣い
「科学と方法」 ポアンカレ 吉田洋一訳
なにごとも極めれば、自然と調和した美しさに収斂していくということなのでしょう。さて、私の仕事は美しさからはほど遠いですが、いつか真の審美的感情を得られるようにすこしずつ歩んでいきましょうか。

急遽、勤務先が横浜の片田舎から赤坂へ変更となりました。おそらく半年程度の時限的業務ですが、外食レポートが復活できそうです。あまりに貧相なランチに神さまはみちびきを与えたのでしょう。パストゥール先生のいわれるように「準備する心に、偶然は訪れる」(だったっけ?)のです。
そんな心機一転赤坂のランチは「Django(ジャンゴ)」さんで、本日のパスタ、アンチョビ長ねぎなんちゃらです。
昨晩、元上司と相当量呑みすぎた胃袋にはちょうどいい感じのランチです。ごちそうさまでした。

夜は溝の口(川崎市)で久々にお会いする先輩お二人との呑みでした。お二方とも偶然にも本日付けで転職されたという四十過ぎのツワモノです(笑)。
いろいろとお話を聞いていると仕事とはなんなのか考えさせられますなぁ。とはいえ、転職にかけられたエネルギーが相当身体から発散されているようなかんじで、話をしているだけでなんとなく元気をもらってしまいました。
ごちそうさまでした〜。
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・djangoさんの紹介記事
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Why not find your new realities?
食とは、味はもちろんのこと、サービス、価格、雰囲気、タイミングなどの複雑な要素の織りなす重要な活動です。それは一般的な消費者たる私たちにとっても単なる消費行為ではなく、そこから受けるおいしさや楽しさにより生産的行為となっているはずです。
そこには新しい発想、新しい知覚、新しいコミュニケーションが存在するのです。それらは、すぐそこにあります。その新しい現実をご一緒に発見し、確認していきましょう。
とはいえ、この活動は「内食」すなわち家庭の食事をないがしろにするものではありません。さりとて、単身赴任、孤食、常態的残業、夜間の塾通いなど、旧来の「暖かい食卓」を求めるには難しい世情となっているのが現状です。そういった現実とのバランスをとりながら、新しい現実を探求する必要があるのでしょう。

